2022年度 10月の園長だより
「一緒にいてくれること」
皆さんは忘れることのできない心に残るような風景をお持ちでしょうか。
私は今から10年以上前になりますが、真っ赤に染まった夕焼けが忘れられません。その日は金曜日でした。仕事でヘトヘトになりながらも、こども3人を保育園へ迎えに行き、自転車の前と後ろに乗せ、背中には赤ん坊をおんぶして、かごには持ち帰りの荷物が3人分あふれながら、トボトボ自転車を引いて歩いていました。すれ違う人からはじろじろ見られ、別に恥ずかしいとは思いませんでしたが、苦笑いで会釈なんかして…、すると突然、「雲すっげぇ!」と、こどもの声。ふと、見上げると空一面に真っ赤に染まった雲が広がっていました。「雲すっげぇ…」私もそう思い、しばらくその場で夕焼け雲を眺めていました。その時は本当に心も体も疲れ果てていて、自転車は重いし、おんぶ紐は肩に食い込んで痛いし…でしたが、真っ赤に染まる夕焼け雲をこどもと一緒に見ながら「…でも、これって幸せなんだろうなぁ…」と思いました。その風景が今でも心に残っています。
こどもが一人いると、その家の空気は変わります。一つ屋根の下、一人では絶対生きられない幼児と一緒に生活することで親は絆を作る姿勢になります。様々なことが起こる日常の中で、こどもから一心に愛され、時々許され、救われて、親は「この子を守ってください」と、心から祈るようになるのかもしれません。そのような日常を重ねることで、親も子も育ち合うことができるようになるのだと思います。こどもは気の利いた言葉や感動する言葉を発してはくれません。けれども、その寝顔を見ているだけで幸せになれることに気づかせてくれます。そこにいてくれるだけでいい。いつまでも愛し続けていたい…そう思わせてくれる力がこどもにはあるように思えます。ですから、普通の日常を一緒に重ねることがどんなに大切なことか、と思います。…けれども、その当たり前の日常が奪われてしまったら…もし、そのような人が身近にいたら、なんて声をかけたらいいでしょうか…。私にはその言葉が見つかりません。
青山学院大学宗教部長・法学部教授の塩谷直也先生が「キリスト教保育誌」の中で、こんな質問を受けていました。
質問:お兄ちゃんが突然亡くなった弟くんやお母さんに何て言ったらいいか、が今の悩みです。アドバイスが欲しいです。お母さんより若い私が「神様がお守りくださいますよ」とは言えないです。
これに対して、塩谷先生は以下のようにお答えになっていました。
塩谷先生:「神様がお守りくださいますよ」と言えない、あなたの率直な気持ちに少しばかり動揺しています。なぜならそれは、若いころの私の姿そのものだからです。(中略)神様がいるから大丈夫?いやいや、神がいるなら、どうしてこんな悲劇が起こるの?こっちが逆に聞きたいよ!悲しみの中で頭を抱え、神に怒りをぶつける自分…そんな混乱した状況になることをひどく恐れていました。(中略)あなたは「言えない」と言いましたが、それでいいんじゃないですか。この世には言ってはいけない言葉、美しい物語にまとめてはいけない出来事があります。何も言えない、悲しみを悲しみのまま手のひらに乗せ、それでもそこに居続け、無力な姿を見せ続ける。そして、言葉にできない痛みを見つめながら、いつも通りに働く。それが遺族にとって、最もあたたかい弔問なのかもしれません。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」、聖書の言葉です。言葉はなくても一緒にいることで慰めになることもあるのだと思います。当たり前の日常を、この先も一緒に送ることができますように。全てのご家庭が幸せで満たされますように。園とご家庭のつながりが、より豊かなものでありますように。切に祈ります。
職員一同、これからの日々の保育も全力で努めてまいりたいと思います。
(園長 横山 牧人)