9月の園長だより
「いのちの輝きと共にある祈り」
先日、大阪・関西万博の「いのちの遊び場 クラゲ館」を訪れ、「いのちを高める」というテーマに深く触れました。展示には「いのち高まる瞬間ってどんな時?」という問いがあり、「青空を見上げた時」「赤ちゃんが生まれた時」「プールで溺れかけた時」「おいしいご飯を食べた時」といった多様な書き込みが並んでいました。そのひとつひとつが、私にはまるで「祈り」のような響きを帯びて感じられ、とても印象的でした。当園もこのクラゲ館のプロジェクトに参加し、昨年度の年長児と保護者の皆さんが制作したモザイクタイルが壁面に飾られています。会場でそのタイルを見つめたとき、「1年前に森でみんなと作ったあの時間、懐かしい…。みんな元気にしているかな」と思い巡らせる静かな祈りのような時間がありました。それこそが、私にとってまさに「いのち高まる瞬間」そのものでした。
8月には恒例の「卒園生の日」を開催し、今年は小学1年生から中学3年生まで多くの卒園生が集いました。「あまがさすの森」で思い思いに遊び、新園舎でお弁当を囲む昼のひとときが、とても和やかでした。特に印象的だったのは、学年や年齢の違うこども同士が、まるで長年の友だちのように自然と打ち解けていたことです。例えば、中学2年生の男の子が「森のキッチン」の地面に沢の石を綺麗に並べ始めると、その様子を見た小学生たちも積極的に手伝い、一緒に作業を楽しんでいました。知り尽くした環境だからこその姿だったと思います。保育室では、カプラ(積木)を天井に届くほど高く積み上げる遊びに挑戦し、最後は中学3年生が小さな子を肩車してサポートする場面も。こうした光景は、小学校や中学校ではなかなか見ることができない、園だからこそ生まれる特別な「仲間意識」の表れではないでしょうか。
この体験から改めて感じたのは、ただ「仲よくね」「助け合ってね」と声かけするだけではなく、日常の遊びや生活の中で自然に生まれる関わりこそが、こども達にとってかけがえのない学びや他者への受け入れを豊かに育むということ。そして、最初は自分に向いていた気持ちが、少しずつ他者へと広がっていくその瞬間の一つひとつが、まさに「いのち高まる瞬間」であり、それを見守る大人のまなざしは、まるで「祈り」のようでありました。
また、今年は初の試みとして、自然保育に造詣の深い園の先生方を対象に、森の中の古民家「成木の杜」で合同研修会を開催しました。ここは築100年以上の古民家をリノベーションした一棟貸しの森の宿であり、自然あふれる環境が魅力的な場です。テーマは「不適切な保育防止」。特に心に残ったある先生の言葉を紹介します。
「自然保育と出会って、『○○しなければならない』という思いから解放されました。以前はこどもに正解を伝えなければと思っていましたが、自然の中で遊んでいると、そもそも正解はなく、こども達や先生と共につくるのが保育だと気づきました。だから今は、こどもに正解を求めず、一緒に考えるようになりました。」
この言葉が示すように、「~しなければならない」という思考は、保育の質を担保するための標準化が求められる中で、かえって先生たちを縛り、「個」よりも「全体」を優先するあまり、不適切な関わりにつながることもあるかもしれません。だからこそ大切なのは、「全体」の中で「個」を尊重するために、何でも話し合える関係性をつくり、共に保育をつくり上げること。正解がないからこそ、「祈り」を持って日々の保育に向き合うことが、大切なのだと改めて感じました。
この夏、いのち高まる瞬間の奥にある「祈り」を感じ、こども達の成長とともに心の豊かさを実感することができました。確かに「一人で生きていくことはできない」のかもしれませんが、同時に「独りじゃないよ」ということも伝えてあげたいと思います。他者と折り合いをつけ壁を越えながら、それぞれが神さまから授かったかけがえのない、いのちの輝きを放てるよう祈っています。その輝きは特別な出来事ではなく、日常の中にこそ見いだされます。2学期もこども達の一瞬一瞬に宿る輝きに気づき、ご家庭と共に行事などで成長を喜び合えますように。今学期もどうぞよろしくお願いいたします。 (園長)