子どもの絵と造形について
子どもの絵と造形について
子ども造形スペースサルバ
上村健太
子どもたちは私たちの前で、生き生きと、伸び伸びと、描いたり作ったりする姿を見せてくれます。そんな子どもたちの絵と造形表現に、私たち大人がどのように関わることが好ましいか考えてみましょう。
はじめに、子どもの絵と造形を美術や芸術アートなどとは別のものと考えてみます。なぜなら大人が美術や芸術などと子どもの表現を混同してしまうと、技術的なことを要求したくなったり、指導的な目線になってしまうことがあるからです。それでなくても私たち大人は、この視覚的な子どもの絵と造形というものに、厳しい目線をおくりがちです。
例として子どもの言葉、また描くという二つの表現と大人の反応を考えてみましょう。
喃語
「うーうー」→どうしたの?なにか言いたいの?
「まんま」→すごい!まんまって言えるの!!まんまほしいのね!!
「まんまちょーだい」→「まんまちょーだいっていえるの!すごいね!」
絵
グルグル→「グルグル上手ね!曇みたいね!!」
ギザギザ→「ギザギザ描けるの、雷かな?とげとげ痛いかな?」
円を描く→「すごい!丸描けたね。ここに点々描いたら顔になるよ」
人体を描く→「人描いたのすごいねー!!‥ここはもっとこうで、ここもこうで…」
どうでしょうか、喃語に関してはしゃべることが出来なかったあかちゃんがしゃべりだした喜びで、どんな些細なことでも感動できるでしょう。きっとあかちゃんもお母さんが喜んでいる様子を感じもっとしゃべりたいと思うでしょう。
絵のほうはどうでしょうか、描きはじめたこと、新たなものを描くことに感動はしますが、無意識に大人の目線で描かれたものを評価しがちです、そして大人から見てステキと思える絵になるように指導的になりがちです。子どもは素敵な絵を仕上げたり、よく考えられた物をつくろうとしている訳ではありません。子どもにとって描くこと、また作ることは“自由に遊ぶこと”“自分の五感を使って表現することなのだと思います。ですから、大人から見て上手な絵を描くようにすることは、子どもの自由や楽しみを奪い取ってしまうことになります。
さてここで、子どもの“自由”と“楽しい”についてもう少し考えてみたいと思います。もしかしたら子どもの自由すぎる活動は良くないのではないかと考える方もいるかもしれません。しかし、喃語がやがて言葉につながるよう、まだ寝がえりもうてない赤ちゃんが手
足をバタバタし、やがて寝がえりしハイハイするように、乳児・幼児のやることには常に大きな意味があり、全てが成長の過程だと思います。自分の五感を自由に使い色々な物に触れる、見るだけではなくその物と自分なりに関わり理解を深めていく。こういった活動の中では主体性・表現力・想像力・などが生き生きと伸びて行きます。また主体的活動には失敗という感覚少なく、その結果を知り、工夫するという力につながっていきます。しかし、大人が無意識ながら完成形・到達点を用意してしまうと、そこからずれたものは全て失敗となってしまいます。そのような環境で主体性・表現力・想像力は生き生きとするでしょうか?そして、楽しいということは自分に必要なことをやっている状態だと思います。自分が生まれもった力と向かい合い、それを伸ばしているサインだと思います。
さてここで絵を描くのが得意な子、工作が得意な子だけに力を入れれば良いのかという疑問うかびます。確かに絵や工作に得意不得意はあると感じられますが、歌や運動と一緒のものとして考えてみます。歌が上手に歌えないし、楽器も弾けないけど、音楽を聞くとリラックス出来たり楽しい気分になる人も多いはず。速く走ったり、高くジャンプすることはできないけど、散歩をする。自分が行きたい場所まで歩いて行ける。登山などを楽しむ人もいます。これらと同じように描くこと作ることも、自分の知っていること、また想像したものを主体的にとらえ、工夫して表現(大げさなものではなく、自分の気分で模様替えをするなども表現)出来るということは、自分の人生を豊かにしていく大切な力です。ですから私たち大人は、この“得意や上手”というものにとらわれずに、描く・作るがいかに子どもたちの未来を豊かにしていくための力なのかということを想像し関わらなければならないと思います。
さて、具体的にどういう関わりがよいのか…関わり方の方法というよりは、関わる姿勢と言った方が正しいかもしれません。結論から言うと、子どもたちは自分が安全で安心し、肯定的な環境の中にいることで自分の力を最大限発揮し、新たなことを経験し、チャレンジし生き生きと自分の力を伸ばしていくことができます。ですから、出来上がったものばかりに評価の目を向けるのではなく、今描いている、作っている子どもが充実しているか、生き生きとしているかということに目を向けます。実際、制作物より子どもの表情をじっくりと見ていると、その真剣さ・楽しさ・喜びなどが伝わってきます。そしてその子が作っているものに目を向けたとき、指導的な姿勢は弱まり、純粋にすてきね!いいね!という気持ちになります。
一番良いやり方というものはありません。その時その子どもによって関わり方は変わってくるはずです。子どもが描いた絵、作ったものだけを見るのではなく、その子どもの想いや存在を受け入れる姿勢が大切なのだと思います。繰り返しますが、子どもの絵や造形は自分を表現したり、その子の生活を彩ったり豊かにするものです。ですから、それぞれの子どもが自分のペースで一つ一つとらえていくことが最もその子の力となります。それでも子どもの絵や造形に関わりたい私たち大人に出来ることは、指導ではなく、良き環境になることだと思います。
受容・肯定:子どもとのやり取りの中で「あなたのやり方でよい」と知らせてあげること。ネガティブと思われがちな表現(黒く塗りつぶす・乱暴に描く)なども他者に迷惑をかけなければ受容・肯定する(ネガティブを恐れない、ポジティブと表裏一体のもの)(セカンドステップ=ネガティブエネルギーを発散することで、表現がポジティブに移行することがある)。
共感:子どもが何を感じて何をしているかを、子ども目線で考え、言葉にして共感する。しかし大人の言葉が多いと子どもが混乱することが多いので、少なめにあっさりした言葉を選ぶ。子どもは自分がなんとなくやっていたことが他者からの言葉となりよりいっそう集中し勢いづくことがある。
同調:絵を描いている、ものを作っている目の前の子どもの気持ちに同調して想像してみる。
その想像(あくまでも目の前の子どもの表現に見合った想像)を子どもと言葉で共有してみる。時々ピントが合いフワッと表現力・想像力が広がることがあります。また今の子どものやりたいことを理解し、その半歩先のヒントを出すことによって子どもは閃きに近いものを感じ、想像の幅・表現の幅がひろがることがあります。
このように受容・肯定・共感・同調という姿勢が子どもたちを生き生きとさせる環境だと思います。子どもに見合わない大人の指導の効果はやがて消失し、残念なことに絵や工作に対する苦手意識だけを残してしまいます。
最後に
少し堅苦しい言葉を並べましたが、私たち大人は絵を上手く描けるようになってほしいと願うばかりに、一方的な関わり方をしてしまうことがあります。目の前の子どもが何を感じ・考え、何をしているかその内面に集中し、表現されたものも一緒に喜べるそんな大人でありたいものです。
造形講師 上村健太先生より
ご寄稿いただきました。