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2021-01-13

2020年度01月の園長便り

美的にみること

あけまして おめでとうございます。 今年も よろしくお願いいたします。

新年早々に緊急事態宣言に関する情報が飛び交いました。ただでさえ計画を変更せざるを得ない状況だったところへ追い打ちのようになられた方も沢山いたのではないでしょうか。特に受験を控えた学生のみなさんはもし発熱したら…コロナに感染したらどうなるの?!と気が気ではないと思います。一日も早いコロナ禍の終息を願いますが、既存の社会システムが予測不可能な状態になった時、混乱に陥るのも無理はありません。しかし、ある社会学者がこんなことを言っていました。「社会混乱が起きる時は人が輝くときでもある」。つまり、良くも悪くも「人」に注目がいくようになる、というのです。その人の行動、言葉が個性として表現され、今までは社会システムに埋没していたその生き様がシステムダウンにより浮かび上がり、輝いて美しく見える、というのです。ただ、その逆もあり得ると思いますので、酷(ひど)く醜(みにく)く見えるのではなく、人(自分も含めて)が輝いて美しく見えるためには一体何が必要なのか少し考えてみたいと思いました。
「美的にみる」ためには条件があります。思想家の清水満氏によると「利害関心から心が自由になった時、人は美しいものを評価できる」としています。例えば、スイスアルプスの牧歌的な美しい風景を前にしたとしても、農業に関心が向けば「気候が厳しい」「平地が少ない」「土壌が不適切」などと美的に見ることは出来なくなってしまう。また、こどもを見る場合も、他者と比べて一定の技術や知識がないと、人間社会を生きるために不利になると考えてしまい、本来その子らしく生き生きと見えるべき姿もそのようには見えなくなってしまう、と述べています。では、こども達はこの世界をどのように見ているのでしょうか。もし、こどもが自由に遊ぶことが保障されているなら(遊ぶことそれ自体が目的となっているなら)こどもは利害関心から自由であり、創造力とファンタジーの世界によって、美しいものを前にした時に美的に見ることができているのではないかと思います。そしてそのことを理解してくれる大人が側にいてくれることによって豊かな表現活動ができるようになるのです。従って、そのような大人の存在はこどもにとって非常に重要となります。まさに輝きをもった人として見られているのではないでしょうか。「利害関心から心を自由にする」、このことは過度な合理性と個人の利益を追求しがちな大人社会に人間として大切なものを教えてくれているように思えます。「人」が注目される今の時代だからこそ、私たちはこども達の自由な遊びから「美的にみる」ことを学び、愛をもってこども達に接していきたいと思います。

(園長 横山 牧人)

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教材が置いてあります。

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預かり保育、礼拝、健康体操など多目的に使います。

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お庭


5月にはグミの実が、夏から秋にかけて野イチゴが採れます。

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4・5歳児の縦割りクラスです。

こどもトイレ


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のぼる子ども多数。下にはスギのウッドチップ。

ポスト


のぼるところ。宝物などをしまうところ。

ブランコ


ブランコを片付けるのは年長さんの証です。

こうさぎ・こりす


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