2020年度11月の園長便り
「こどもの行動の意味を考えること」
先日の風の子太陽の子広場でおこなった自然保育の中で、マラカス作りをしているこども達の様子を興味深く見ていました。2~3人の子たちが用意された物を小さなプラスチックボトルに入れていろいろ試していたのですが、ある瞬間そこに水を入れることを思いつきます。「水を入れてしまったら音がしなくなるんじゃ…」と言いそうになりましたが、ぐっとこらえました。水を入れると案の定楽器としての音は鳴らなくなってしまいましたが、その子たちはとても楽しそうにマラカスを振っていました。また、違うある子は松ぼっくりを持ってきました。「大きすぎるんじゃない…?」と思う間もなくカサを一枚一枚ちぎって丁寧にマラカスの中に入れて、できあがったマラカスを満足そうに持ち歩いていました。私の想像をはるかに超えたこども達の遊ぶ姿がそこにありました。こどもの遊びには自由が保障されていなければならず、「遊びは生命活動である」という岡本先生(明星大名誉教授)の言葉を実感するとともに余計な口出ししなくてよかった(私という狭い枠に閉じ込めなくてよかった)…という思いもしました。
保育という仕事をする上で、外的・客観的に観察可能な行動だけでなく、その背景にある内的世界を理解することはとても重要です。このことは生まれたばかりの、まだ言葉を持たない乳児の頃から大切にしなければならない視点で、津守房江先生の著書「育てるものの日常」の中にこんな一節があります。
『おっぱいは充分飲んでいるし,おむつもぬれていないのに、赤ちゃんが泣いている。どうしようかと困 惑している私に,母が「どうしたの」と聞いた。「ただ泣いている」と答えると、母は目を丸くして、「ただ泣いているですって? ただ泣くなんてあるものですか。さびしいとか、たいくつだとか…」と言って子どもを抱き上げた。さびしいとかたいくつだとかいうのは、赤ちゃんにも心の世界があるということを母は言ったのだろう。目の前の小さな存在にも心の世界があって、呼びかけているのだということは、大きな発見であった。無事に育つかどうかに気を奪われていた私は、その発見によって、不安や緊張がほどけていくように感じられた。』
そして本のあとがきには「外から考えて、何歳になったら、こんなことができなければならないというのではない。「今、この子がこんなことをして楽しんでいる」そのことを大切に思う。だから人から見て価値がなくても、意味があることもある。」と書かれていました。本当にその通りだと思いました。
10月はおいも掘りもしました。幼稚園で借りている並木農園の畑で育てたさつまいも。お味はいかがでしたでしょうか。「甘い!って思いましたよ!」と嬉しい感想を言ってくださったお母さんがいました。そうなんです。並木農園では肥料を一切使用していませんので気候に左右されやすく、見た目も大きいのや小さいの、収穫できる数も安定しているとは言えないようです。けれど、味はその分ぎゅっとつまっていて本当においしいのです。人格の基礎を、人生の土台を作っているこの幼児期にも同じことが言えるのではないでしょうか。見た目や外見にこだわることが、どれほど意味のあることなのでしょう。こどもの内的な世界を理解し、一人ひとりの心をよく知ることによって、こどもの行動は真の意味を持って私たちに訴えかけてきます。そのこども達を日々愛情を持って受け止め、こども達の成長をご父兄のみなさんと共に楽しんでいきたいと思います。
(園長 横山 牧人)