日常の自由遊びから社会的になること
日常の中の自由遊びの時間。
もちろん、遊びの中に自由でない遊びはないのですが、改めて本当に子どもの創造性の豊かさには日々驚かされます。そして、「自由」であるからこそ、子どもたちが物と人と好きなように関わり、遊び、成長しているのだと思うのです。
金曜日にある「プレイルーム」も製作かゲームか、能動的に活動を選択できることにより、自分で自分の活動を充実させようとする意欲を子どもたちから感じます。(ま)
社会的になること
この子が充実した時間を生き、能動性が生まれ、自我が確立してきたときに、他の人に対して関心を持ち始めた。この子ども自身が社会化されてきた。これは社会への適応とは違う。子ども自身が内側から社会化され、社会的人間となることである。
保育者とともに、「いま」を充実して過ごすとき、その充実感は他の物や人にも向かい、子どもは能動的に世界と関わるようになることを、私はあらためて知らされた。個々の活動をやらせようとあせるよりも、子どもの自我を育てることに力を尽くすならば、子どもは自分のしたいことを自分で見出し、価値ある活動を展開させる。
4月からの子どもの変化をかえりみるとき、この変化を発達と言ってよいであろう。毎日の保育の中で、疑い、試み、たのしみ、考える日々を重ねるうちに、私が問題としていたことは解け、子どもは一歩先に進んでいる。発達を生み出す原動力は、大人と子どもとかかわる保育の生活の中にある。 「保育者の地平」 著:津守 真 より