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2021-07-02

2021年度07月の園長便り

「ありのままを受け入れてくれる家族の愛」

休日に家で映画「The Greatest Showman」(2017年ヒュー・ジャックマン主演)と「おとうと」(2010年山田洋次監督)を観ました。自分にコンプレックスを持ち、引きこもりがちだった人たちがサーカス団という家族に出会い、「これが私よ!」「This is me」と堂々とステージの上で、たとえ罵声を浴びせられようとも、プライドを失わないでたくましく歌う姿……、家柄や身分が重要視される社会の中で上流階級の人たちを前に「上っ面の評価なんて、どこまで手に入れても物足りない」「Never Enough」と歌う下流階級出身の歌手の圧巻のパフォーマンス……「The Greatest Showman」を観たのは2回目でしたが、改めて内容の素晴らしさを感じることができました。かたや一方、他人に迷惑ばかりかけるどうしようもない男の話「おとうと」。姉だけは味方になっていたのですが、次々と事件を起こしてしまい、遂には姉からも絶縁を言い渡されてしまいます。そんな彼が唯一心の拠り所にしていたのが「姪っ子の名付け親である」ということでした。「こんな俺でも家族の一員として受け入れられたことがあったんだ…」そう感じさせる場面が数か所あり、私はとても大切なメッセージだと思いました。そして、たまたま観たこの二つの映画を通じて「家族」について考える機会を与えられた気がしました。

家族とは身体の面では遺伝と強く結びついていることが多いと思います。しかし、個性の部分では全く別の精神性を持っている、と言えるのではないかと思います。そして、身体は成長とともに変化しますが、その人がその人であるという個性は大人になっても変わらずに貫かれるものです。そのうえで生活を共にする共同体が「家族」と呼ばれるものだと思います。そして家族が「居場所」としてあるためには、一人ひとりの人間が全く個別で独立している存在であるということをお互い受け入れ合うことが大切です。そのような関係性があるのなら、自分の家が単なる空間的な家ではなく、「居場所」となっていくと思います。

ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在は生きていく上でとても大きいと思います。自分にコンプレックスを持っていたとしても、上流階級の身分ではなくても、ありのままを受け入れてくれる人の存在によって居場所が与えられ、それによって生きる力を得ることができるからです。逆に遺伝的にはつながっていたとしても固有の精神性による個性を受け入れてもらえない関係なら、家族は窮屈なものになってしまいます。そこに精神的な「居場所」がないと心が歪んでしまうことがあります。映画「おとうと」はそのことを訴えていたように思えます。ろくでもない男と呼ばれても、「姪っ子の名付け親」として受け入れてくれたことがずっと心の拠り所だったように、ありのままの自分を受け入れてくれる家族を欲している…。道を踏み外すようなことがあっても人は誰しも大人になるにつれて良い生き方をしたいと思うようになります。その原動力となるのがありのままの自分を受け入れてくれる人の愛です。「愛するということは許すということなんだよ」…岡本先生の言葉が頭を巡りました。難しいことだと思います。時間がかかることでもあると思います。けれども、真実であると思います。

青梅幼稚園においてもお互いがありのままを受け入れ、一人ひとりの居場所として、家族のような機能をもつことができるように祈りつつ、育ちあうことを目指しながら毎日を過ごしたいと思います。

(園長 横山 牧人)

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教材が置いてあります。

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こうさぎ・こりす


2歳児と満3歳児クラスのお部屋。