2024年度 11月の園長だより
「小さな私にできること」
大学時代の友人が「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」と診断されたので、会いに来れないか、と連絡を受けました。とてもショックでしたが、会いに行きたいと思い、集まった8名と一緒に横浜にある彼の住む家まで行ってきました。家の中に入ると、介護用ベッドに酸素マスクや点滴やいろんな機材がある中で、横たわっている友人の姿がありました。手足は大きく浮腫み、もはや自分の意志では動かすことはできない様子でしたが、私と目が合うと大きく頷き、「わかる?」と声をかけるともう一度大きく頷いてくれました。話す声は物凄く小さく弱く、発音もはっきりしないのですが、耳と頭はしっかりしているようで、くだらない昔話をしては約1時間、皆と一緒に笑って過ごしました。帰る時になって、「もう会えないかもしれない…」と頭をよぎり、なんて言葉をかけたらいいか戸惑っていると「ありがとー」とひと際大きな声で私たちに向かって言ってくれました。もう涙が止まりませんでしたが、私たちも「ありがとう」を伝え、彼の家をあとにしました。
その後、仲間たちと連絡を取り合う中で、こんな言葉を伝えてくれた人がいました。「僕らには祈ることと、楽しい時間を作ること以外できないですからねぇ」…本当にその通りだと思いました。弱い立場にある人、苦しみの中にある人に対して、私たちのできることは本当にわずかなことしかありません。けれども、その中でも祈ることと楽しい時間を持とうとすることはできる、そんな友人の言葉が心に沁みて、塩谷先生(青山学院大学)の言葉を思い出しました。
“隠れた祈りが積み重なるごとに、あなたの眼差し、表情、ふるまい、行動が変わります。そしてその時、結果として「寄り添う」世界が現れると思うのです。「寄り添う」とは、(物理的な距離を縮めるのではなく)その人の痛みを自分の痛みとし、その人の幸せを祈り求め続けることにほかならないのですから”(青山学院大学 塩谷直也先生)
保育の世界ではよく、「寄り添う」という言葉を使いますが、本当に自分は寄り添うことができているのか…、その人の痛みを自分の痛みとしているのか…、自分に問うてみて…私はまだまだです。自分の未熟さを痛感します。そんな私には祈り続けることしかできないのかもしれません。
次年度の入園面接を終えて、みんなが笑顔でいられるように楽しい日々を作っていきたいと願っていますが、時として不本意ながら悲しませてしまうこともあります。心がぎゅーっとなります。最終的に自分で決めたことなのに、何も手につかなくなって、ため息ばかりついて…。けれども、そのまま立ち止まっているわけにもいきません。私に残されたできることは「祈ること」と、「楽しい時間を作ること」なのだとしたら、人の痛みを抱えつつ前に進んでいく、祈りつつ楽しい時間を作れるように努力していくしかないのではないか、と前を向いて更に歩みを続ける決意を抱いています。
新しい園舎での初遊びは、とんでもなく楽しいものばかりでした。砂場水遊びでの大発見、築山でのバッタ・トカゲ探し、どんぐり転がし、そして何より走り回れること、こども達の笑顔と、先生たちの笑顔が重なって、時間を忘れて遊ぶことができました。今後は、木登りができる木を植える予定です。既に選木して今か今かと連絡を待っている状態です。こども達の笑顔がそのまま成長へとつながっていきますように。全てのこども達が幸せな人生を歩んでいけますように。毎朝祈っております。人の痛みと共に、これからも祈り、楽しい時間を作ることに全力を注ぎ、そして、いつか、こども達が平和な世界を作っていけますように、こども達の心の中に平和の砦を築くことができますように、祈りを続けていきます。(園長)