2018年度6月の園長便り
先日、あるシンポジウムに参加してきました。 テーマは「いのちの教育」。大きく時間が割かれていたのが、性教育の指導についてでした。 海外との取り組みの違いを通し、日本においての問題点を厳しく追及していました。 望まれない妊娠・出産は既に中学生から多くの件数が上がっているという現状に愕然とし、中学校からオブラートに包んだような性教育はおこなっているが、実際こども達(中・高生)は不確かなネット上での情報に頼っている、とのことでした。
思い出してください。初めて我が子を抱いた時のこと。 この小さな「いのち」をどんなことがあっても守ってあげたい、愛してあげたいと思いましたよね。 望まれない妊娠…こんなに悲しいことはありません。 いのちの教育の目的は近藤卓先生によると「自分の命はかけがえなく大切なもので無条件に生きてよいのだ、と こども自身が確認できるようにすることです」とのこと。 無条件に生きていっていい、これをどの子も当たり前に思える世の中になってほしいと願います。 さらに近藤先生は「本当に自分自身のいのちが大切に思えると、他者を傷つけたりすることはありません。 他者を傷つけるという行為によって、自分の心を傷つけてしまうからです。 自分のいのちは何よりも大切だと思えるようにこどもを育てることは、だから、自分勝手で自己中心的な思いやりのない子を育てることにはならないのです。 自分のいのちがかけがえなく大切なものだということは、いい換えれば自分は無条件に生きてよいのだということです。 かけがえなく大切なものは、当然そこに存在し続けるべきだからです。」と述べておられます。
こども達がいのちを大切にし、これらのことを理解するためには親の存在は言うまでもなく重要です。 “近代教育の父”ペスタロッチは「生活が陶冶(とうや)(教育)する」という有名な言葉を残しています。 生活の中でこそ、こども達は親の毎日の言葉や行為を聞いたり見たりして、多様なことを学び取ります。 同じ事が幼稚園の中では教師にもいえると思います。
自然の中で遊んでいると実に様々ないのちの中で遊んでいることを感じる瞬間があります。 私たち大人の生きる姿勢を正されるようなそんなことを思ったりします。 「いのち」を大切にできる、わたし達でありますように。
(園長 横山 牧人)